正論であっても他人を責めることは間違い

べき論、正論を人に押し付けて考えて責める手段にするのは間違い
人に興味が無いとして、それを責めることはできない、ただの事実
他人をどうこうすることは出来ない

やられたからやり返すというのは理解出来るとはいえ、その事に意味があるのか?
物理的にやり返さないと、後がない危機的状況ならばその回避として必要なことは理解出来るが、それ以外の場合が99%

やり返すことに意味がない、相手の思いは基本変わらない変えられない、
与えられた痛みを報復のためにやり返す衝動でやり返す正当な理由を探す、コレらの反応は本能と言える
ただ物理的にも精神的にも弱いと認識されると、排除されるという刷り込みが本能に刻まれているからというのもあるし、事実群れから排除される場合も有るため、その回避策としてやり返す行動は必要な場合もある

正当な理由があるから責めていい訳では無い
理由が有るから責める事が正当化される訳でも無い
理由など後づけ可能な場合がほとんど
責めたいから責めているという事実に気付け
やられたと思ったからやり返している、やり返す理由作りをして責める言い訳とする
責めるための正論はただの言い訳である

人はただただやりたい事を成す、何がどうこうは関係ない、正しいか正しく無いかでは無く、責める行為自体も同じでやりたいならやればいい、ただそれだけだ、

人を責める事は自分を責めること
同族嫌悪である、責めた後後悔して痛みも負う、そして意味が無い

 

「それって、あなたの感想ですよね?」この言葉万能すぎる・・・