履歴書の人質蘭について・・・ (責任という名の拘束具)

生きていると常に責任を要求される
やってはいけないこと、それは他人に迷惑のかかること

だが、実際には、他人に迷惑をかけずには生きられず
その、許容される範囲での迷惑をかけ、人は日々生きる
許容された範囲は、行動を行う個人によって解釈はちがい
迷惑をかける側との関係にも左右される。

なにかすれば、責任はつきまとう
そして、大それたことはできない、責任によって、大いなる迷惑行為は自分に関係のあるものを巻き込む
主に家族(親族)だ
そう、迷惑の度合いが、個人で支払える量を超えた場合または、迷惑の代価を支払うのを迷惑をかけた本人が拒絶したばあいは、代理人(保証人)として、人質である、関係者、主に家族が支払うこととなる。
それは、迷惑行為を行った者の価値観にとって苦痛なのか、それとも平気なのかによってもこの人質の効力は代わってくるが、大抵の人間にとってはウィークポイントである。
だからこそ、この履歴書の親族の欄は、人質としてもっとも価値があるため存在するのである。


責任から逃れられない・・・
そして、この縛りがなければ、人は信用しない、だから職も与えない・・・

簡単には裏切れないシステムが社会には必要だ
もっともだ、
もっともすぎて嫌になる。

どこにも逃げ場なぞない、そう、リスクを負わない限りは・・・